音楽とトロンボーンと私

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音楽との出会い

私の音楽の旅は、
幼い頃の小さな夢から始まりました。
小学校の音楽鑑賞会で、
初めてオーケストラの演奏を聴きました。
キラキラした音のシャワーを全身に浴びて、
私も楽器を演奏したい!と憧れました。

そして、中学校の吹奏楽部で
「トロンボーン」に出会いました。
初めて触れる楽器に戸惑いながら、あっという間にのめり込み
中学2年生になる頃には「トロンボーンが彼氏」と
公言するほど大好きになっていました。
今では「人生のバディ」です。
楽しいことも辛いことも、
ぜんぶトロンボーンと一緒でした。

トロンボーンの「父たち」との出会い

私のトロンボーン人生で、
分岐点となった先生とのエピソードを少し。。

ゴルフの帰りですか?

高校1年生のある日、
ゴルフバッグを持ったおじさんが部室にやってきました。
「おっちゃん、ゴルフの帰りなん?」
と話しかけた私に、
先輩が大慌てで
「これはトロンボーンが入ってるケースや!
大江先生はプロのトロンボーン奏者やねんで!」

教えてくれました。
初めて接するプロの先生に興奮した私は
「トロンボーンって、めっちゃいい音で、涙が出そうになりませんか?!」

と、鼻息荒く演説してしまったのでした。
これをきっかけに、
高校3年間、大江健司先生から
音楽の素晴らしさを教わりました。
音大に進学したかったのですが、
両親の猛烈な反対で断念し、
就職の道を選びました。

生活の中にある音楽

社会人になり、
市民バンドやオーケストラで演奏を続けていましたが
もっと上達したいという気持ちが高まり、
ツテを頼ってウィーンで
カール・ヤイトラー先生のレッスンを
受けることなりました。
初めての海外生活。
街中には作曲家の生家や銅像があり、
本場の空気感に心が震えました。
毎晩行われる演奏会やオペラは、
どの会場でもドレスアップした人々が集まり
音楽談義に花を咲かせていました。(もちろん私は立見席をフル活用)
音楽は、食事と同じように生活の一部であり、
決して特別なイベントではありませんでした。

もっと良い音楽を作りたい・・・

その後、仕事で知り合ったトランペット奏者と
結婚し、静岡県三島市に移り住みました。
初めて住む土地で音楽活動を始め、
1年後、初めてのリサイタルを企画しました。
集客が不安でしたが、
当日は約100名のお客様が来てくださり
本当に嬉しかったです。
その2年後、第2回リサイタルを開催。
初回を超える150名のお客様にお越しいただき、
感謝の気持ちでいっぱいでした。
同時に、自分の技術不足を痛感し、
武蔵野音楽大学の別科で
レッスンを受けることにしました。

そこでお世話になったのが
井上順平先生でした。
レッスンは毎回真剣勝負、熱い時間でした。
別科3年目、
先生の勧めで受験した大阪国際音楽コンクールで
エスポワール賞を受賞しました。

音楽は心のビタミン

2020年、世界を襲った新型コロナウイルス。
私たちの生活を一変させました。
そんななか、私はトロンボーンのスランプと
戦っていました。
無理な練習がアダとなり、
低音域でタンギングが
できなくなってしまったのです。
「もう辞めた方がいいのかもしれない」
という思いが頭をよぎりましたが
コロナで演奏活動のできない今だからこそ、
自分に向き合ってみようと思いました。

スランプの出口が見えないまま、
地元の公民館のコンサートに出演することになりました。
今の自分にできる精一杯で心を込めて演奏しました。
お客様から温かい拍手とご感想をいただいて、改めて音楽の持つ力を感じました。
「やっぱり生演奏は心に沁みる」
「家で一人でいると寂しかったけど、演奏が聞けて明るい気持ちになった」
こんなご感想を頂けて、身に余る幸せでした。

音楽が無くても、生活は困らないけれど
心を慰め、元気をくれる。
音楽のある場所に人は集い、豊かな時間を共有できます。
心の栄養、ビタミン剤ではないでしょうか?

音楽の世界へ羽ばたこう!

音大に行けなかった(後で別科には行きましたが・・・)
スランプに陥った
こんな私だからこそ
楽器の演奏で困っている人に寄り添える存在でありたい。
もっと多くの人に音楽の素晴らしさを伝えたい。
その思いを胸に、レッスンや演奏活動を続けています。

トロンボーンを通じて、
音楽の世界へ羽ばたきませんか?
そこには新しい出会いや喜びがあります。
興味のある方は、お気軽にお問い合わせください。

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